森内智寛(はてな)の経歴は!「会社員とミュージシャンの二刀流」公表の経緯は父親

森内智寛(もりうち ともひろ)さんは、国民的歌手・森進一さんの次男でありながら、長らく正体を伏せてミュージシャン「はてな」として活動してきた異色の人物です。

慶應義塾大学を経てテレビ東京のディレクターとして働きながら、同時に顔を出さずに音楽の道を歩む“会社員とミュージシャンの二刀流”を貫いてきました。

2025年7月に父・森進一さんがテレビ番組でその正体を公表し、大きな話題を呼んだ彼のプロフィールと独自の経歴について紹介します。

 

森内智寛の経歴

森内智寛

主なプロフィールと経歴

  • 本名:森内智寛(もりうち ともひろ)

  • 生年月日:1989年(詳細な月日は非公開)

  • 家族:父が国民的歌手・森進一、母は歌手の森昌子。兄はONE OK ROCKのボーカル・Taka、弟はMY FIRST STORYのボーカル・Hiro

  • 学歴:慶應義塾幼稚舎から慶應義塾大学までエスカレーター式で進学。大学では落語研究会に所属

  • 職歴:2012年4月に新卒でテレビ東京に入社
    2020年頃にテレビ東京を退職

 

幼少期から慶應への階段、華麗なる家系ゆえの葛藤

森一家

1989年、東京都世田谷区松濤に生を受けた森内智寛。

彼の父は昭和・平成にわたり数多くのヒット曲を生んできた国民的歌手・森進一、母は歌手の森昌子という、日本を代表する音楽一家の次男です。

兄はONE OK ROCKボーカルのTaka(三浦貴大)、弟はMY FIRST STORYボーカルのHiro(森内寛樹)。いわば「音楽サラブレッド三兄弟」の中で生まれ育ちました。

しかし、幼い頃からエリートコースを歩んできたものの、本人は家族と同じように芸能界の表舞台に立つことに疑問を感じていました。

自分自身の人生を探したい、親の名前だけを頼りにしたくない

という想いが強く、幼稚園から慶應義塾幼稚舎、湘南藤沢中等部・高等部、慶應義塾大学と進学しながらも、芸能活動や音楽活動には距離を置いていました。

大学では落語研究会に所属し、人前で何かを表現する喜びを知りつつも、それが「音楽」として開花するのはまだ先の話となります。

 

テレビ東京スタッフとして「普通」の会社員へ

森内智寛テレ東スタッフ

2012年4月、彼はテレビ東京に新卒で入社します。

バラエティ番組「ハレバレとんねるず」などにアシスタントディレクター(AD)として配属され、入社直後に番組スタッフとして出演した際には、とんねるずの石橋貴明・木梨憲武らに突然「おふくろさん」を歌わされて度胸を試されるなど、“森進一の息子”らしくない素朴さと胆力を見せ、「一般人だけどなぜか只者じゃない」と話題になりました。

数年でフロアディレクター(FD)へ昇進。「所さんのそこんトコロ!」などでも若手ながら責任ある立場を任され、スタッフとしての道を着実に歩みました。

テキストこの時期、兄や弟が次々と音楽界で脚光を浴びる中、森内智寛は「ごく普通のサラリーマン」として、自分の居場所を模索していたのです。

 

音楽家「はてな」としての新たな挑戦

静かに転機が訪れるのは2020年。

彼がテレビ東京の番組スタッフ一覧から消えると同時期に、正体不明のアーティスト「はてな」として突然登場。

11月シングル「夢?」でメジャーデビュー。

アニメ『体操ザムライ』ED主題歌を皮切りに、2ndシングル「声?」はアニメ『Dr.STONE』ED曲にも起用。さらには大谷翔平選手が登場曲として選曲するなど、一気に音楽界の話題となります。

ただし、その素性は完全非公開

「親の七光り」を徹底的に避け、自分の実力と音楽だけで勝負したいという強い意志で、「会社員」として生活しながら音楽活動――完全な“二刀流”人生が始まっていました。

実際の退職後も、SNSプロフィールは「前:テレビ東京」とし、正体や私生活をメディアには明かさない徹底ぶりでした。

 

二刀流スタイルの理由—なぜ正体を隠し続けたのか

父・森進一が2025年7月にTVで明かしたところによれば、

「自力で道を切り拓きたい」
「成人するまでは親のことを使いたくない」

これが彼の一貫した姿勢だったそうです。

両親、家族、同僚にも自身の音楽活動や楽曲提供などを一切明かさず、「社会人とアーティストを両立させる」という新しいライフスタイルを確立。

音楽活動わずか5年ほどの中で、正体を隠しながらもアニメ主題歌、人気アーティストとのコラボ、大谷翔平の効果も加わり「はてな」はJ-POP界に確かな爪痕を残します。

 

真実、明かされる——父・森進一が語った公表のとき

2025年7月29日、テレビ朝日「徹子の部屋」でゲスト出演した森進一さんは「きょう初めてお話しするのですが…」と語り始めます。

「次男が“はてな”として音楽活動をしていました。成人するまでは親のことを絶対に頼りたくない、名前も出したくないと本人が強く言っていまして、これは家族全員の秘密でした。けれども、大谷翔平選手が息子の曲を使ってくれたことで、もう自力だけでやったと言える。それが成長の証です。音楽はやはり“血”なんですね。」(『徹子の部屋』より抜粋)

この発言をきっかけにネットは騒然。「謎のアーティスト“はてな”の正体」が完全解禁となり、「森家三兄弟が全員プロのミュージシャン」として日本中に話題が広がりました。

 

会社員・ミュージシャンの“二刀流”がもたらしたもの

これまで日本の音楽業界では「専業プロ」こそがシンボルでしたが、森内智寛さんは会社員とアーティスト、両方の世界で生き続けるという革命的な生き方を実践。

昼は会社員、夜や休日は音楽家――。

この多重性、両立可能性が「等身大の新時代ミュージシャン」として、SNSやネット世代に驚きと共感を呼び続けました。

誰にも知られぬ努力、正体を明かさず掴んだ成功、親の名に頼らず切り拓いた道——。それを信じて見守っていた父・森進一自らが「タイトル」を与えたことに、日本の親子像、人生の多様さへの新しい光が差しています。

 

これからの“森内智寛(はてな)物語”

親の名に逃げず、兄弟とも違う軌跡で「自分だけの物語」を貫き、会社員として社会と繋がり、音楽でも己の世界を表現し続ける――。かつての“ただの音楽一家の一人”ではない彼の生き方が、「人生は二刀流でもいい」「夢を諦めなくていい」と、多くの人に勇気と共感を与えています。

これからも“森内智寛”の名前と「はてな」の音は、それぞれの道で“今”を生きる全ての人に、やさしく刺さり続けることでしょう。

 

 

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