田久保真紀の若いころは型破りな学生だった!SNS・証言から人物像を分析

静岡県伊東市の田久保真紀市長は、2025年の学歴詐称疑惑で一躍全国的な注目を集めました。

その背景には、彼女の「型破り」な若いころの生き方が色濃く影響していると指摘されています。

SNSや同級生の証言、報道から浮かび上がる田久保市長の学生時代の実像を多角的に分析していきます。

 

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幼少期から中学時代――転校生としての存在感と強い自己主張

転校生

田久保真紀さんは1970年、千葉県船橋市に生まれました。10歳で父親を亡くし、母子家庭で育ったことが、早くから社会的弱者の視点や反骨精神を身につける原体験となったようです。中学3年時には静岡県伊東市へ転校し、伊東市立北中学校に在籍しました。

この転校生時代については、SNSや掲示板で

「活発で明るいが、自己主張が強く教師と衝突することもあった」
「議論好きで話すのが得意、目立つ存在だった」
といった証言が複数寄せられています。また、
「中学時代に一緒だったけど、何でも話を盛るクセがあった」
「人の注目を集めるためなら多少話を誇張するタイプだった」
といった“話を盛る”“ウソをつくことに抵抗がない”という評価も見受けられます
これらは個人の主観も含まれますが、複数の証言が共通している点は特徴的です。

高校時代――バンド、バイク、アルバイト漬けの自由奔放な日々

田久保真紀-バンド

静岡県立伊東城ヶ崎高校時代の田久保さんは、さらに「型破り」な一面を強めていきます。

  • ハードロックバンドのボーカルを務め、音楽活動に夢中

  • バイク通学やアルバイトに明け暮れ、学校生活は真面目とは言えなかった

  • 授業に出ないことも多く、学業よりも外の世界に関心があった

という証言が同級生から寄せられています。

「あれだけサボってたのに進学できたの?」と当時から疑問を持つ声もあった
バンド活動では、レッド・ホット・チリ・ペッパーズやボン・ジョヴィ、ニルヴァーナなど洋楽ロックに影響を受け、文化祭のステージで熱唱。
仲間とともに汗を流した経験が、後の「人前で話す力」や「共感力」につながったのではないでしょうか。

大学時代――「住所不定」状態、通学実態のなさと自由奔放な生活

高校卒業後は東洋大学法学部へ進学。しかし、大学時代の後半は

「いつまで通っていたかも覚えていない」
「かなり自由奔放な生活をしていた」

と本人が告白しています

  • バイク便のアルバイトをしながら全国各地を旅するような日々

  • 携帯もない時代、時には「住所不定」のような状態で連絡がつかないこともあった

  • 学業よりも「現場で体験すること」に価値を見出していた

という生活スタイルで、安定を求めず、バイク便ライダーやイベント人材派遣会社員、広告代理業など、さまざまな職を経験しています。

「大学時代後半は、特にかなり自由奔放な生活をしておりまして、いつまできちんと学校に通っていたのかと言われると、正直、いつまでときちんとお答えできるような通学の状態ではなかったというのは、これは本当にお恥ずかしい話なんですけれども、事実で。恥ずかしいんですが、卒業式には出ておりませんし、その当時ですね、まあ正直、その通学というのもしっかりしていたような真面目な生徒でもございませんでして、卒業式に、まず出ていないというのは、これは記憶にありますので、確かであると思います」
このような生活が、最終的に卒業できず除籍となる結果につながりました。

学歴詐称疑惑と「話を盛る」傾向

2025年、市長就任直後に「東洋大学卒業」と公表していた経歴が虚偽であることが発覚。
SNSや市民の間では「昔から話を盛るクセがあった」「ウソをつくことに抵抗がない性格だった」といった評判が再燃し、

「最初から正直に言えば良かったのに」「信頼が一気に崩れた」
と失望感が広がっています。

外見や雰囲気――「美人で目立つ存在」だった?

田久保真紀さんの若いころについては、

「小芝風花や黒島結菜に似ていた」
「芸能人クラスの美人だった」

という声もSNSで見られます
実際、2018年の写真では明るい髪色で若々しい印象を与えています。

田久保真紀 2018年

 

人物像の総合分析

田久保真紀3

SNSや証言、本人の発言を総合すると、田久保真紀市長の若いころは

  • 自由奔放で型破り、自己主張が強い

  • 話を盛る・誇張する傾向があり、周囲から「嘘つき」と見られることも

  • バンド活動やバイク、アルバイトなど学業以外に熱中

  • 学業への関心は薄く、通学実態も曖昧

  • 議論好きで、後の政治家としての素地もこの頃から

  • 美人で目立つ存在だったとの評判も

という特徴が浮かび上がります。

 

若いころの「型破り」は今にどう活きているか

田久保市長の

「現場主義」「市民目線」「行動力」

は、こうした若いころの自由な体験や多様な職歴から生まれたものです

一方で、

「自己管理の甘さ」「説明責任の軽視」「話を盛るクセ」

が、今回の学歴詐称問題や危機管理の甘さにつながったとも言えるでしょう。

 

まとめ――型破りな個性が生んだ光と影

田久保真紀市長の若いころは、「学業よりも自分の興味や体験を優先」「自由奔放で周囲の注目を集める存在」だったことが、SNSや同級生の証言からも裏付けられています

この型破りな個性が、市民運動リーダーや市長としての行動力や発信力につながっている一方、今回の学歴詐称問題の背景にもなっている――それが、彼女の人物像を語る上で欠かせない事実と言えるでしょう。

 

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